拾われた命
車にも「運命」というものがあるようです。友人が乗っていたのは、古いメルセデス・ベンツのC240(W202)。しかし、現在の彼の生活パターンを考えると、ほとんど乗る機会がなく、それでも駐車場を借りて、税金や保険を払い続ける意味があるのかと、手放すことを真剣に考えるようになっていました。
ちょうど今月で車検が切れるタイミングだったこともあり、その上、数年間の野外駐車の影響で天井の内張りが落ちてきたのです。見た目には目立たないものの、触ってみると天井と内張りの間に空間ができていて、修理には4万円ほどかかるとのこと。車検に加えてこの修理費用までかかるのなら、ほとんど使わない車を維持することが重荷に感じられたようで、ついに手放す決断をしたのです。
この車は1998年型で、26年が経過していましたが、走行距離はまだ6万キロ台後半。車庫保管されていた時期もあったため、見た目は古くても機関は健全そのもの。とはいえ、友人からは廃車にするよう頼まれ、業者に連絡を取り手続きを進めていました。しかし、週明けに引き取りの日が近づくと、彼は「乗らないけど、やはり愛着があるし、どこも悪くない車をスクラップにするのは忍びない」と言い出したのです。
「それなら、もっと早く言ってくれればよかったのに…」と思いながらも、その気持ちは理解できました。そこで、友人や知人に「車検は切れているが、車自体は無料で譲るので誰か乗ってみないか」と急いで声をかけました。
幸い翌日は日曜日。車好きの知人2人が興味を持ち、私の家でそのメルセデスを見て試乗してみることに。試運転をしてみると、この時代のメルセデス特有の堅牢な作りや、ドイツ車らしい高品質感が健在で、17年経ったとは思えないその状態に感心していました。そのうちの一人は、試乗後にはすでにユーザー車検の段取りを話し始めていて、すっかり気に入った様子。
そして、正式に書類や車の受け渡しが完了し、このメルセデスは無事に新しいオーナーの元で新しい生活を送ることになりました。本来であれば翌日に廃車手続きが始まる運命だったこの車が、断崖絶壁のギリギリで救われ、再び公道を走るチャンスを手にしたのです。
さらに先週木曜日には、新しいオーナーがユーザー車検を受け、一発合格。約6万円のコストで、向こう2年間、また公道を走り続けることができるようになりました。私も長年この車を見守ってきたため、故障していないのにスクラップになってしまうのは哀れだと思っていたので、こうして拾われたことに少しホッとしました。この車には、もしかしたら「幸運」がついているのかもしれません。
車やピアノのようにサイズが大きくて重量のあるものは、たとえタダでも置き場や受け入れるタイミングが重要で、そのために泣く泣く処分されることも多いので、こうした運命のめぐり合わせは貴重だと感じます。
調律師の知人で、小さな車で頻繁に高速を走る方がいるので、高速走行が得意なメルセデスが最適ではないかと話を持ちかけましたが、あいにく数日前に「車検を取ったばかり」とのことで、彼の手に渡ることはありませんでした。
こうして振り返ると、車やピアノのようなものは本当に「縁」だと実感します。