ブレンデル
BSプレミアムシアターで、10年ほど前に亡くなった名指揮者クラウディオ・アバドを追悼して、彼が晩年を過ごしたルツェルンでの2005年のコンサートが放送されました。プログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とブルックナーの交響曲第7番。ソリストにはアルフレート・ブレンデル、オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団でした。
今では「大物」演奏家が少なくなり、自分好みの演奏家を見つけてはリストに加えるという状況が続いています。そんな中、アバドとブレンデルのような大スターが揃う舞台を観ると、昔のコンサートが懐かしく思い出されます。かつてはこうした豪華な顔ぶれが当たり前に見られたものですが、今ではとても貴重なものになってしまいました。
演奏そのものよりも、当時のステージの雰囲気には安心感と華やかさがありました。今と比べると、時代が少しずつ厳しく、気を抜けないものになってきていることを感じさせられます。
アバドの指揮は、かつての緻密な構築よりも、年齢を重ねたせいか、団員との共演を楽しんでいるように見えました。ただ、そのスタイルが老練な味わいを生むわけではなく、どこか物足りなさを感じさせる部分もありました。
ブレンデルのピアノを聴くのは久しぶりでしたが、映像と共に再び耳にすると、色々と考えさせられるところがありました。彼は「学者肌のピアニスト」として名を馳せ、ベートーヴェンやシューベルト、リストで新しい解釈を示し、20世紀のピアノ界に新たな道を切り開きました。エンターテイメント性を排除し、徹底的な分析と解釈で音楽を再現するというスタイルは、彼独自のものでした。
ただ、現代のより正確な譜読みをする次の世代と比べると、ブレンデルの演奏には人間味があり、譜面と微妙にズレるところが音楽を生き生きとさせていると感じました。その自信に満ちた表現力は、さすがブレンデルだと思わせるものでした。
一方で、冷静に見ると、その技巧にはやや不安定な部分もありました。もしかすると、この技巧面での不安が彼を音楽の研究に駆り立て、それが結果的に彼の独自の世界を築く原動力になったのかもしれません。多くの芸術家がそうであるように、弱点を克服しようとする努力が、思いもよらない成果を生むこともあるのです。
ブレンデルのピアノを聴くと、ディテールには素晴らしさがあるのに、全体としては固く、音色の変化や感情の波が少ないと感じました。演奏中、彼は背筋をまっすぐに伸ばし、顔を左右に揺らしながら弾いていましたが、全体的に釈然としない感覚が残ります。音色も乾燥していて潤いがなく、ピアノ自体を十分に鳴らしていない印象を受けました。
ブレンデルはその知性と努力で名声を築いたのでしょう。そして、比較的早い引退も、もしかすると彼自身が抱えていた限界が理由だったのかもしれません。
それでも、彼のエレガントなステージマナーには心を和ませるものがありました。こうした振る舞いは、若い世代の演奏家にはなかなか見られないものですね。